☆教育について!☆子どものやる気を引き出す!親のアプローチⓇ@仲町台・北山田の個別指導塾
** 今週のテーマ **********
☆教育について!☆
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◇皆さんは、教育についてどういうイメージを持っていますか。
最近の報道に影響を受けている人は、
教育をあまりよくないものだと思っているかもしれません。
逆に教育は、素晴らしいものだと思っている人も多いかもしれません。
とかく教育は、簡単に語られてしまいますが、
実はどういうものかは、深くは理解されていません。
◇教育の語源的な意味は、意外にも実は、暴力的なものなのです。
諸説ありますが、「教」という漢字の語源的な意味は、
子どもを親や長老が鞭でたたいて教えるとか、
子どもと親や長老が交流しながら、バチで叩きながら教えるとか、
そういう意味です。ですから、教育には、暴力的で強制的な意味があるのです。
◇それでは、学校はどういうイメージでしょうか。
学校については、色々な学者が近代学校制度を批判的にとらえています。
たとえば、フランスの哲学者ルイ・アルチュセールは、
学校を国家のイデオロギー装置だと言いました。
◇また、脱学校化論で知られたイバン・イリイチは、
学校の本質的機能を管理と選抜だと言い、
学校の影のカリキュラム(人間を社会馴致させるもの、
また学校の正当性を人々に叩き込むようなカリキュラム)を暴きました。
◇また、権力論で有名なミシェル・フーコーは、
学校のモデルを監獄に見出しましたし、
世界的な社会学者であったピエール・ブルデューは、
学校は社会を再生産するものだと論じ、
教師の行動を象徴暴力だと言いました。
◇このように、教育や学校は、無条件では善的なものではないのです。
この点をまずは私たちは、明確に意識して、教育を考えることです。
そうしないと教育を過大評価し、過剰に教育に期待をすることになるのです。
◇それでは、最後に、私の教育観を少し書きたいと思います。
私の考える教育とは、子どもを社会の構成メンバーとして大人にするために、
強制的な作業を通じて、社会のルールを教え、
そのルールに従って自己表現をしていけば、
社会の中で生きていけるということを教えること。
簡単に教育を語るなら、そういうことだと思っています。
◇ですから、まずは自主性を教える前に服従を教え(素直さを要求し)、
その次に、自分の責任ですべてのことが決定することを教え
(日々の決断が自分を作る)、そして、最後に大人になるということは、
自主性を獲得していくことなのだと教えたいと思っています。
◇そういうプロセスの前提に、子どもたちのセルフ・エスティーム
(子どもたちが教師から重要だと思われていると実感すること)
の向上があるのだと考えています。
◇子育ては、ですから、子どものセルフ・エスティームを高めていくことなのです。
そういう親の心の支えが、子どもを大人に向かわせるのだと思います。
ぜひ、子どものセルフ・エスティームを高めていくアプローチを忘れずにいてください。
『子どものセルフ・エスティームを高めることが、教育の前提に!』